富士通専門雑誌「Oh! FM」からFM77AV・FM TOWNSシリーズの歴史を3回に分けて振り返ってみたいと思います。
まずは、第1回目の1988年6月~1989年12月まで。
Oh! FM 1988年6~12月号
表紙はコルクの背景にそれぞれの月の季節・イベントをテーマにした画像が掲載されています。
雑誌後ろ側は、FM77AV40EXのイメージキャラクター南野陽子の広告が掲載されています。
こちらも季節に合わせてナンノが着ている洋服も変化しています。最後の12月号はFM77AV40SXの広告に変わっています。
1988年6月号
季節に合わせたカエルの絵が描かれている6月号の表紙。
雑誌のトップ広告は、FM77AV40EX/20EXです。
特集の「集まれ!! ショートプログラム」のコーナー。BASICのソースに対して、それぞれの役割が詳しく解説してあります。
編集部のプログラマーを育てたいという考えが伝わってきます。
こちらは、FM77のCPU 6809のアセンブラ(マシン語)ソース。こちらでも、それぞれの行の役割が解説付きで掲載されてます。
ゲーム特集では「蒼き狼と白き牝鹿 ジンギスカン」が紹介されています。このゲームは買いました。
雑誌後ろの広告には、旧機種となったFM77AV40のセット(FMTV-154・マウス・ゲームパック・デスク5枚付き)が138,000円。
私がAV40を買ったのが、1898年の4月ぐらいで丁度10万円で親に買ってもらいました。という事は、10か月後に38,000円も値段が下がったという事ですね。この頃のパソコンの価格落ちはすごいスピード。
因みに最新機種は、
FM77AV20EX+FMTV-152+マウス+FD5枚+ゲームパックが149,800円
FM77AV40EX+FMTV-154+マウス+FD5枚+ゲームパックが2●4,800円
AV40EXの価格が伏字になっていますが、分割払いの金額から予想すると20万のようです。
1988年8月号
夏バージョンの南野陽子。
1988年9月号
特集で3Dグラフィックスを扱っています。
レイトレーシングや任天堂がファミコン向けに発売した「ファミコン3Dシステム」を改造してFM77に繋げる記事も掲載。
改造はIC一つに配線を繋ぎ変えるシンプルな電子工作です。私はこういうちょっとした電子工作・改造が好きでした。
ゲーム特集のページでは「イース2」が取り上げられています。私は当時、川崎駅前にあったラオックスで定価の7,800円で買った記憶があります。
FM77AV版のイース2は、オープニング・エンディングのアニメーション、グラフィックスの一部が4096色モードで動いていて、グラフィックがきれいで、当時のパソコンの中では上位に入る評判の良さでした(記事によるとディスクの半分の容量をデモに使っているらしい)。
ただ、ゲーム本編はそんなに色がきれいではなかったような気がします(隣度ドットと色を混ぜ合わせて表示する疑似特色?)。PC-88からのべた移植だったのかな。
1988年10月号
秋バージョンの南野陽子。
当時、ポッキーのCMにも南野陽子が出演していてポッキーの応募券を送ると、ナンノのオレンジカードが当たる企画があり、応募して見事当選しました!
FM77AV40を買った時に?貰った南野陽子のテレカ。
富士通が運営しているFMサークルの紹介広告記事。入会するとFMシャトルという会誌・新製品カタログなどが送られてきます。
また、Oh!FMに掲載されたプログラムを収録したFDも手数料を払うと送ってもらえるサービスもありました。
雑誌のプログラムリスト・ダンプリストを打ち込むのが面倒なので、入会してFDを良く送ってもらいました。
特集では、C言語が扱われています。Draco Cとか懐かしいですね。
63C09カード製作の記事もあります。
1988年12月号
広告はFM77AV40SXに変わりました。FM77シリーズの最終機種になります。当時としては斬新なカラー・デザインでした。最後だからデザイナーも冒険したのでしょうか(TOWNSに合わせたのかな)。
ただ、そのデザインから他機種ユーザーから墓石と言われ・・・
富士通の次世代32ビットマシン(FMタウンズ)のインタビュー記事が掲載されています。
Oh! FM 1989年1~6月号
表紙は4月から若干デザインが変わっていますが、ほぼ同じデザインで継続されています。
雑誌の裏側は、1月から3月までがAV40SX、4月以降はFM TOWNSの広告になっています。
引き続きイメージキャラクターは南野陽子が担当していましたが、諸事情(所属事務所の移籍問題?)で、途中で降りています。
当時、東京ドーム貸し切って行われた、TOWNSのお披露目イベント電脳遊園に南野陽子が出演予定だったのですが、ドタキャンになってしまいました(Oh! FM最終回の座談会によるとカンボジアから帰ってくる日程を事務所が間違えたとのことですが実際は?)。
南野陽子のファンだったので、見に行こうと思っていたのですが、残念でした(東京ドームの電脳遊園地には行きました)。
1989年2月号
特集記事では「レイトレーシング」などが組まれています。
FM77AVシリーズの特徴である4096色・26万色(ドット数が足りないため実際には26万色同時表示はできない)表示モードを生かした、レイトレーシングの活用記事になっています。
今から見れば解像度が小さい(320×200ドットだっけ?)ですが、発色は綺麗です。
当時持っていたFM7AV40でプログラムを実行し、上記の球体画像を表示させました。
1枚のグラフィックを表示させるのに、12時間か20時間ぐらいかかったような気がします。
寝る前にプログラムを実行して、モニターだけを消して、朝起きたらモニターをつけてどこまで表示されているか確認する作業をしたのを覚えています。
今のゲーミングPCでは、4K解像度で一瞬で表示されるので、とてつもなくパソコンの性能がアップしたことが実感できます。
ゲームコーナーでは、FM77AV用のテトリスが紹介されています。AVならではの発色数で、グラフィック・グラデーションがきれいに表示されています。当時このゲームも購入しました。
ジョークプログラムのコーナー? で「FM-7を16ビットマシンに!?」というプログラムが掲載されています。
私は本当に無知で、このタイトルを真に受けてプログラムを打ち込み実行させましたが、全然速くなりませんでしたw。
確か、オチとしては「16ビート」で音が鳴るというプログラムだったと思います。
1989年3月号
FM TOWNSの発表と並行して、お披露目の場として東京ドーム貸し切りで行われた電脳遊園地の広告。今の時代から見るとバブリーですね。
FM TOWNSが発表される直前の特集が組まれています。FM77シリーズのCPUは6089が使われていたので、新機種のCPUに68000系を期待する人たちもいましたが、結果的にインテルの386シリーズが採用されることになりました。
Oh! FM最終回の座談会によると、68000の試作機が没になり、286で検討していた所、当時のアスキー西社長にCD-ROMを付けた方が良いと言われ、最終的にあの仕様になったとか。
同じ386系のCPUを採用した同社FMRシリーズにマルチメディア系の機能を追加したような感じになっているので、1から開発するよりもコストも抑えられ、よかったのではないかと思います。
記事の内容は、かなりテンション高く書かれています。
8ビット時代はFM7シリーズは売れたものの、AVシリーズで失速しNECのPC-88に負け、直近ではPC-98の台頭、シャープからはX68000が発売された状況だったので、富士通専門雑誌としては、何としても勝てるマシンをという期待もあったと思います。
また、当時のNHK夜9時ニュースで「富士通から新しいパソコンが発売される」と紹介されていました。「NHKなのに民間の商品紹介?するようなことをするんだと」驚いた記憶があります。
あ、でもコンパックの低価格パソコン発売時もNHKのニュースで取り上げられていたから、驚くべきことじゃないのかな。
1989年4月号
Oh! FMでのFM TOWNSの初広告。FM77AVシリーズの時とは違い、大人びた南野陽子です。今見てもインパクトのある広告ですね。
特集はもちろん、FM TOWNS。
詳しいスペック紹介の記事が続きます。
- FM TOWNS 本体 モデル1 338,000円
- FM TOWNS 本体モデル2 398,000円
- モニター FMT-DP532 138,000円
- モニター FMT-DP531 89,800円
- JISキーボード FMT-KB101 20,000円
- 親指シフトキーボード FMT-KB201 20,000円
Townsシステムソフトウェア、MS-DOS等のOSは別売りでした。
発売当初は、パソコンコーナーでタウンズのアフターバーナーデモしまくりでしたね。あの生演奏が今でも耳に残ってます。地元の川崎や秋葉原にあった富士通プラザで遊んでました。
1989年5月号
翌月には、TOWNSの分解記事が掲載されています。
こちらは、サブ基盤とメモリ・CD-ROMドライブなど。
Oh! FM 1989年7~12月号
表紙は後半も変更なし。ただ8月号はCD-ROM無料申込み書のアピールが左上に目立つように書かれています。
雑誌裏側の広告では、南野陽子から宮沢りえまでのつなぎとしてカケフくんが登場。
1989年7月号
TOWNS用、F-BASIC386の特集記事。
1989年8月号
386のマシン語、FM77用増設サブシステムカードなど。
MSX2で使われているビデオプロセッサ「V9938」をFM77シリーズに載せようという企画と386のマシン語特集。
こちらが申込書で手に入る太っ腹No.1。本来は雑誌付録としたかったが、書店か問屋のルールで拒否された?との事で、申し込み形式になった模様。
雑誌付録となれば、日本初のCD-ROM付録になっていた?
因みにTOWNSを持っていないユーザーでも、オーディオトラックが収録されている為、CDプレーヤーで収録されている音楽も聴けます。
1989年9月号
芸術の秋という事で?グラフィック特集。
FM77AV40シリーズの26万色モードに対応したグラフィックソフト 「Dr.トランスファー」やTOWNS向け画像エディター「SANS-SOUCI」等。
Dr.トランスファーは、当時のパソコンは8・16色表示が一般的だったので、こんなに色鮮やかに画面に表示できるんだと感動しました。もちろん実行して遊びました。
政治シミュレーションゲームの「SEZI-MGR」。当時遊びました!
増設サブシステム記事。こういう自作ハードの記事は大好きです。
1989年10月号
ゲームレビューとウィンドウOSの特集。
1989年のWindowsは、バージョンが2.1でした。
そして、OS/2のバージョンは1.1。私はOS/2 Warp 3.0から使い始めました。
この頃は、Windows・OS/2の記事を見ても「ふーん」で流し読みでした。これらのウィンドウシステムは、解像度が高くないと使い物にならないので、この時代でメインで使うには無理がありますね。
そもそも持っていたパソコンがFM77AV40だったというのが一番大きいですが。
そして、富士通ビジュアル通信、のちに富士通habitat(ハビタット)の特集。現在で言う所のメタバース(仮想空間)の走りですね(数年後にFMR・PC-98・Mac版も登場します)。
富士通ビジュアル通信のタイトル、確か白地に丸文字のカラフルな色で「富士通ビジュアル通信」と書かれたのが結構好きでした(googleで画像検索しても出てこなかった…。もう一度見てみたい)。
確認のためWikiを見たら後に、Windows・セガサターン版もあったんですね。知らなかった。その後のJ-チャットに移ったのも知らなかった。。。
私は数年後にハビタットをやり始めるのですが、かなりはまって電話代が凄いことになり、親からめちゃくちゃ怒られました。。。
1989年12月号
FM TOWNS 2代目イメージガールの宮沢りえが初登場。
2回目となった電脳遊園地の広告。
89年9月号で掲載されたグラフィックソフト 「Dr.トランスファー」の4096色版や新FM TOWNSの特集が組まれています。
2代目FM TOWNSの特集記事。モデル 2H(548,000円)、1H(458,000円)、2F(378,000円)、1F(318,000円)。価格に差があるのはHD代です。
HモデルがHDD内蔵で、2Hが40MB、1Hが20MBです。Fモデルはフロッピードライブの台数の差です。当時のHDDはめっちゃ高い。
因みに、右上に写っているスピーカー、2024年現在ヤフオクで状態によりますが3万円前後で取引されているようです。
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初めまして。普段はXM7とかいうエミュレータを作っている「たけがみりう」ともうします。
元◎h!FM/Oh!FM TOWNS読者として興味深く読ませていただきました。
ところで、本文中にある富士通ビジュアル通信の丸文字タイトル画面というと以下のリンクにある画像のことでしょうか?(さっきアップロードしたばかりです)
もし違ったら申し訳ありません。
http://retropc.net/ryu/tmp/img_fvc.png
はじめまして。
お返事が遅くなりまして申し訳ございません。
XM7の作者様からコメント頂けるなんて大変恐縮です。
ビジュアル通信のタイトル画面ありがとうございます。
この画像です!
バックの色は白だと記憶していたのですが、黄色だったんですね。
まさか、また見れる日が来るとは思いませんでした(^^
大事に保存させて頂きます。
どうもありがとうございました!